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2021/12/17
“鑑定”から“鑑賞”へ——Fruitful Dialogue~実りある対話II
占い師がやっていることは“鑑定”なのか
前回のブログ「Fruitful Dialogue~実りある対話」は12月のブログテーマに即してゴール設定という観点からお話しさせていただきました。今回はこれの補足として独自に少し話を広げていきたいとおもいます。
われわれ占い師が当たり前のように用いている“鑑定”という言葉——実は私,これがあまり好きではありません。実際のところ自分でも使っていますが,ほかに適当な言葉が見当たらず,見当たったとしてもそれを「私はこう呼んでいます」とゴリ押ししたところで人には通じないので,結局のところ一般的にも普及している“鑑定”を便宜的に用いているという感じです。
なぜ好きではないかと言うと,どうも人間(お客様)を美術品かなにかのように捉え,その価値を値踏みしているようなニュアンスを感じるからです。本質を見定めると言えば聞こえはよいですが,それにしてもいささか“上から目線”におもえます。まあ私もセールストークとして「本当の自分を知ってみませんか」というのをキャッチフレーズにしておりますが,あくまでお客様ご自身の自己開発のお手伝いという役割を務めるよう心がけております。
占いの現場で起こっていることは“読書”に近い
美術品かなにかのようにと上述しましたが,一人の人間を,あるいはその人生を芸術作品と捉えることは可能です。ただ,それは“鑑定”するようなものなのかと疑問が生じます。どうしても某テレビ番組のような,いくらで売れるかを査定しているようなイメージがこの言葉からは喚起されます。芸術作品の価値は交換価値や使用価値を超えたところに存在しています。
私たちがなんらかの芸術作品に触れた場合をかんがえてみましょう。たとえば一枚の絵画,あるいは一曲の音楽に触れた場合,心のなかではさまざまな感情が生起します。それらを見つめていくのが内省・内観であり,さらにはそれらを丁寧に拾い上げ言語化して他者へとアウトプットするのが評論という営みです。このときすでに評論の対象とは芸術作品そのものよりもむしろそれに触れた自分の内面のほうになっていることに気づくでしょう。
占い師の言う“鑑定”とは,どうも,こういう内省・内観のプロセスともアウトプットとしての評論とも違うようです。言語化していく対象は自分の内面ではなくむしろお客様のそれであり,またあるいはもちろん占術によって見出された事柄を言葉でお伝えしていくことになります。これはやはり“鑑定”と呼ぶには違和感のあるプロセスであり,おもうに“読解”が最も適切な言葉であるような気がします。この比喩を敷衍するならば,お客様は美術品というよりも一つの書物になります。占い師が,少なくとも私が,現場でやっていることに最も近いのは読書です。
“鑑定”ではなく“鑑賞”へと向かう主観性の再生産
「客のことを書物だなんて失礼な」「美術品扱いと変わらないじゃないか」とおっしゃる向きもあるかも知れません。ちょっと落ち着いてください。私が問題としているのは“鑑定”についてです。上から目線で値踏みする鑑定を脱却して,これを“読解”つまりは“鑑賞”に変えられないだろうかという話です。同じ目線に立って,触れて鑑賞するのです。
そして,鑑賞は消費とは異なる営みです。美術館に行ってただ眺めてミュージアムショップで買いものしてくるのは消費です。上述のような内省・内観のプロセスを経て自分の内面の変化を見つめたときにはじめて,触れた芸術作品が自分の血肉になり得ます。鑑賞とは消費ではなく,むしろ生産です。自分という人間を更新し,変化を体現するプロセス——これが鑑賞です。
読書という営みは書物と読者との間に生起しています。読書を通じて読者は自分という人間を更新する——つまり自分の主観性を再生産していきます。
さて,ところで,では作者とはだれでしょうか? 書物を書いた人……客が書物ならその親? ……というような単純な話ではありません。実は書物と読者の間に立ち現れているのが作者です。つまり自分の主観性を再生産してくれる架空の存在こそが真の作者なのです。
比喩を整理しましょう。
- お客様:書物
- 占い師:読者
- 2人の間に立ち現れている存在:作者
お客様を書物として読むことで占い師(私)の主観性は再生産されますが,読解を共有することでお客様の主観性も再生産されます。つまり2人に対して生産的に働いているような非人称の存在として,“作者”というものを規定することができる,というわけです。作者は書物と読者との双方をつねに更新し続ける存在です。一度読んだことのある小説をしばらく時間が経ってから読み直してみると,以前読んだときとは印象が異なっていた,などという経験はみなさんにもあることでしょう。これはすなわち,その都度に新しく作者が立ち現れ,書物と読者とを更新しているからなのです。
哲学,とりわけ現象学においては,このような事態を“間主観性”の創出と呼んでいます。日本の哲学者である廣松渉(ひろまつ・わたる)は「諸個人が互いを主体として承認しつつ単一の世界を共有しているような事態であると定義(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』より)」しました。こうした事態に向かうことこそが読書の本質,醍醐味であり,また占いの現場で起こっていること,あるいは私が目標とし実践していることの一側面だと言えます。
心を豊かにする“読書=対話”としての占い
読書は人間の心を豊かにする——陳腐なようで本質的でもある言葉です。しかしながら,成功の秘訣をわかりやすく図解したような本をいくら読んでも心は豊かにならないでしょう。それは単に知識として(それもかなりレベルの低い類のものとして)得られるハウツーにすぎず,間主観性の創出には至らないからです。もっと平易に言うと,そこには対話がないからです。「こうすればうまくいきますよ」を「へえ,そうですか」と丸呑みにしているだけだからです。これでは心など到底豊かになりようがありません。読むことの本質とは対話なのです。
占い師に“読まれる”ということは,実は一方向的な営みではなく双方向的なものです。占い師の側には占術を扱えるというアドバンテージがありますが,上下関係はありません。対等な関係のなかで読解を共有し,両者が主観性の再生産に向かうような場の生起それ自体が,まさに対話なのです。オチのない話はいたしませんので一緒に実りある対話をめざしてみませんか。お待ちしております。
占星家・タロティスト
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