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2019/07/26

『天才 genius 』とは?

ホロスコープをみていると

すべての人が『天才』を持っている

と感じます。

 

え? 天才って『一部の選ばれし人』のことじゃないの?

そう思う人が多いかもしれません。
確かに辞書の解説はそんな感じですね。

 

Wikipediaより (天才とは)

天才は、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す。

デジタル大辞泉 (天才とは)

生まれつき備わっている、並み外れてすぐれた才能。
また、そういう才能をもった人。

 

しかし、私は、『天才』とは、『天から与えられた才能』だと考え
誰もが、その人ならではの『天才』を持っていると考えます。
なぜなら、すべてのホロスコープは唯一無二だから。

 

私は、あなたになれない。
あなたは、私になれない。
いくら努力しても。

 

ホロスコープの一部が『天才』をあらわすのではなく
統合体としてみたときの唯一無二性。
その全体性こそが天から与えられたギフトなのではないかと。

 

『天才』…、英語では『genius(ジーニアス)』です。

最近、読んだ〈ジーニアス〉可能性を見つけよう/石角友愛 によると

『genius(ジーニアス)』は古代ローマ時代に生まれた言葉であり

「天性から備わっている才能」
誰もが生まれつき持っている秘めたる力」

を意味していたそうです。

〈ジーニアス〉とは特別な人に与えられた特権ではなく
すべての人が未知の可能性として内に秘めている、自分らしさの本質のことなのだ。

これを読んで、国語辞典やWikipediaの『天才』の解説よりも腑に落ちたのです。

 

誰もが天才を持っている。
それを発掘し、育てられるかは、本人の努力や環境に左右されるけれども。

 

しばしば『天才』として引き合いにだされるモーツアルトだって
才能が、あそこまで開花したのは、
父親による英才教育や環境、そして本人の努力の結果だと
調べてみれば、わかると思います。

 

けれども、自分の天才を開花させることが
必ずしも、業績をあげたり、お金儲けしたりすることには繋がりません。

 

野球の天才も、フィギアスケートの天才、バスケの天才も
それらの競技が存在し、お金になる世の中だから、
今の時代、脚光を浴びているのです。

 

世が世なら、日の目を見なかった才能かもしれません。

 

現代の成功パターンに
その人の天才が、うまく、はまったのです。

 

多くの人が、自分の才能について知りたがります。
何とかテストで、自分は◎◎タイプであると知りたがります。

 

私もそういう類のテストは好きです。
自己理解を深めるよき道具ではありますよね。

 

けれども、それは、世の中の枠組みや、
何らかの切り口からみた、4つ、とか、8つ、16などのパターンに
どれくらい、あてはまっているか、をみるテストであり
個人個人の天才を見つけだすテストではないと思います。

 

それらのテストも有用ですが、あくまでパターン認識です。

 

一方、ホロスコープには「その人だけの天才」が表現されている。
そこが魅力なのです。

 

逆に、ホロスコープからタイプ分けすることも可能です。

 

私自身もホロスコープから職業プロファイリングをするとき
まず、職業の方向性を5つに分け、どのチャンネルが強いかを調べます。

 

たとえば、芸術的表現への強い欲求があるのか
ビジネス管理の欲求が強いのか、などです。

 

強いニーズ(欲求)を持つ方向性の仕事は
興味が持続しやすいし、その方面の探求や努力を続けやすい。
結果として、成果や業績につながる可能性が高まる。
職業を考えるときには、そういう考え方をします。

 

そのようなタイプ分けは可能ですが
ひとりひとりの個性、天才は
本来、それらの分類や、
特定の職業名におさまりきれないものです。

 

自分らしさの本質を知る、生きる。
それが自分の天才を生きること。
唯一無二の存在であることを楽しむ。

 

そのヒントがホロスコープからは得られます。
だから面白いのです。

 

社会から求められる「鋳型」にはまるのではなく
どんどん自分らしくなっていく道のりをサポートしてくれるのが
ホロスコープだと思ってます。

 

人それぞれ、重視するものが違うこと。
自分と他者では、感性、嗜好が異なることも
ホロスコープと親しむうちに、当たり前のこととして理解されていきます。

 

以上、2019年7月のブログテーマ

『自己認識の大切さ – 感性の違いを認識する – 』

について私なりに考えてみました。

 

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