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2018/09/29

私がプロの占星術師になった経緯:会社員から占い師への転職

こんにちは。第三の眼・大阪&オンラインのKyokoです。

プロの占星術師に転向したきっかけ

私がプロの占星術師に成ったのは(あるいは、成れたのは)

勤めていた会社が倒産したからなんです。

2007年のことでした。

その頃の私は、エクステリア&ガーデンデザインの仕事をしており

2007年からは独立して、勤めていた会社から仕事を請け負う予定にしていました。

 

私がプロの占星術家になったきっかけ|大阪&オンラインの占星術師 Kyokoのブログ

 

しかし、その当てにしていた会社が倒産したのです。

以前から、危険な兆候は、たっぷりあったのですが

「独立・独立」という気持ちが強まるあまり、現実をきちんと把握できていなかったんですね。

 

そのときの流れに乗っていく

さて…いよいよ、会社がヤバイ気配が濃厚となった頃

松村潔先生の講座で、代々木の空き店舗物件のことを聞きました。

小さいスペースだけれども、タロットをやるのに、ぴったりの場所だということ。

「誰か、あそこで、占いのお店をやりませんか?」

早速、私と仲間達はその物件を見に行き、みんなで借りてシェアする話が進んでいったのです。

占いハウス:第三の眼・代々木店を仲間で立ち上げる

私の勤めていた会社が順調であれば、この話は進まなかったかもしれません。

実際、かたい仕事をしている人たちや、

起業のリスクを怖れる人たちは、立ち上げメンバーから脱落していきました。

 

私はと言えば。。。2007年8月、会社が倒産。

ちょうど時間ができたので、

お店の立ち上げにエネルギーを注ぐことができた

というか、これしかない、という感じだったのです。

 

しかし、お店をスタートしたとしても

すぐに充分な収入が保証されるわけではなく

私が担当するのは、週に1度か2度になるでしょう。

食べていけるはずがありません。

 

何か他にも仕事が必要だと思っていた矢先

スピリチュアル・セミナー会社を経営する友人から

事務を手伝ってくれる人を探していると聞かされました。

渡りに船と「私がやります」と手をあげました。

 

そんなこんなで…

2007年9月、第三の眼・代々木店を立ち上げ

セミナー会社でのアルバイトを同時スタートさせました。

 

崖っぷちだからこそ、がむしゃらに頑張れた

倒産した会社からは、累計100万円以上の給与を踏み倒されたり

立て替えていた大金を返してもらえなかったり

崖っぷち、という表現がピッタリの状況でしたので、

かなりガムシャラに頑張ったと思います。

 

とは言え、うまくいかなければ

「いつでも、ガーデンの仕事に戻ればいい」という気持ちもありました。

 

いつしか、占い&スピリチュアルが本業になった

そうこうしている間に

2008年初頭には、占い課金サイトの企画の話も持ち上がり

2009年にはガーデンの仕事をしていた頃の収入を上回るようになりました。

 

ガーデンの仕事は、頑張っても頑張っても、壁にぶつかって押し戻されていたのに

こちらの仕事は、壁はあっても、いつしか開けていくか、別のドアが開きました。

流れに乗っていく感じなのです。

運命のドアが開いていく|大阪&オンラインの心理占星術師 kyokoのブログ

 

そのようになって初めて

自分は、ガーデンよりも、占い師・占星家が向いていると実感するようになりました。

 

実はガーデンの仕事をしていた頃も『副業的に』占星術鑑定はしていました。

けれども収入的には微々たるものだったので、メインの仕事になるとは思えなかったのです。

やはり片手間的にやるのと、後がない状況で本気になって取り組むのでは結果が違いました。

 

つまり、私の場合は、会社が倒産してしまったからこそ

自分の本当の仕事に、移行することができたのですね。

 

振り返ってみれば

自分の(表面的な)意志とは違うところで働いている流れ

あるいは意志、の存在をを感じます。

 

物事がうまくいかないときは、「そっちの方向じゃないよ」

大いなる意志(私の本当の意志)が教えてくれているのかもしれません。

 

それでも無理やり進もうとすると「ガシャン」と、その道自体を閉ざされてしまう。

それも大いなる意志のはからいかもしれないのです。

 

自分の道を振り返って、そのように感じます。

 

と同時に、この仕事に就くまでの経験は

どれも、とても貴重だった、無駄なものはなかった、とも思います。

 

2007年という年が

私にとって、占星術の仕事を本業にするベストタイミングだったのでしょう。

 

占星家に転職するための下地について

占星術師の国家資格はありません。

自営業としての占星家は、自分自身にゴーサインを出せたなら、誰でも名乗ることができます。

 

私自身は、長年の独学の後

2001年から2年半、大阪で月に1回、週末に開催されていた

松村潔先生の講座でみっちり学びました。

金曜日の夜と、土日の朝から晩まで、松村潔漬け。

ここから本当の占星術の学びがはじまったと言えます。

占星術だけでなく、カバラ生命の樹、十牛図、エニアグラム

ライフシンボル、など、精神世界を幅広く学ばせていただきました。

 

ただ、松村先生のすごさに圧倒され、足元にも及ばないと感じていたので

プロなんてとんでもない、思っていました。

 

また、占星術とは別に、心理学の勉強も続けていました。

 

2004年、東京に移住し、ガーデン&エクステリアの仕事のかたわら

松村先生の占星術講座に足しげく通いました。

(実は、これも勤めていた大阪の会社の廃業がきっかけです)。

 

2005年あたりから、

松村先生の講座で出会った石塚さんや仲間と心理占星術研究会も続けていました。

 

どう考えても、本業よりも、熱心に占星術を勉強していました。

そして、本業よりも、たくさんの友達や知り合いがいました。

ただ、占星術は、自分にとって、とても大切なテーマで、

一生、取り組んでいくつもりだったけれど、別にそれを仕事にしなくてもよかったのです。

 

プロの占星家を名乗ることにOKを出せた

それが、占星術を本業にすえようと思えたのは、それまでの生活手段が消えた。

そして占星家としての自分に、なんとかOKを出せる段階に達していたのでしょう。

 

占星術師への転職は、会社員から自営業への転換でもあった

ガーデン&エクステリアデザイナーから占い師への転職は

会社員から自営業という、働き方の転換でもありました。

もともと、ガーデンの分野での独立を目指していたので

職種は全く変わってしまったとはいえ、

その点では、目標どおりの転換になったと言えます。

 

この転職ストーリーから分かること

  • 想定外の出来事が人生やキャリアを変える
  • 流れ(ご縁)に乗っていく
  • 退路が断たれたときに、火事場の馬鹿力が湧いて出る
  • 転職前にエネルギーを注いでいた趣味が仕事になった
  • 不運と思える出来事が恩恵になることもある

 

占星術を勉強している方へのご参考までに

2007年は、MCにトランシットの冥王星が合

ソーラーアークの冥王星が月にスクエアの年でした。

星回りに関しての詳しい考察は次の記事に書かせていただきます。

 

成功する転職…占い師が考える、転職のベストタイミングとキャリアデザイン

『なぜ、どのように、占星術やタロットのプロになったのか』 ~2018年9月のブログテーマ~

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